横浜で足場をかける

岡部大介

2013年12月26日

FAB9で生まれた社会関係資本をもとに「FabCity横浜の可能性を描く」セッションを開催したいと思います。横浜の創造活動をさらに高めたいと思われている企業、NPO、団体の皆さんの参加を期待します。先行するスペインバルセロナの基礎調査を進め、横浜市の現状やデジタルファブリケーション技術進展などの検討を加えて2020年横浜の未来図を描き、市への提案を試みます。

[2013年12月26日のトピック]

FabCity横浜の可能性を考えるにあたり、オンラインコミュニティにおける“レイヤー”のコミュニケーションついて議論しました。当日使用した、東京都市大学環境情報学部の岡部大介准教授のプレゼンテーション資料も添付してありますので、そちらもあわせてご覧ください。

オンラインコミュニティにおける“レイヤー”のコミュニケーション

コスチュームを作って、着て、撮って、オンラインにアップするという活動をしている人がたくさんいます。いわゆるコスプレイヤーと呼ばれる人たちです。コスプレイヤーの間では“レイヤー”と呼び合うことが多いです。レイヤーであればほぼ誰もが登録していると言ってもいいオンラインコミュニティの「cure」というサイトの登録者数は約14万人にものぼります。
コスプレをする際、レイヤーは様々な道具を使い、コスプレをします。私たちはどうしてこういう活動をしたくなるのでしょうか?ここでは、こうした、自分がなりたいものをつくって表現しようというモチベーションや、欲求、欲望みたいなものを主体的な事柄と呼びます。非常に感情的で、エモーショナルな部分が占めていることが多いです。
話は変わりますが、1979年にソニーからウォークマンという新しいメディアが発売されました。このような新しいメディアが出てくると、僕らの活動そのものが変容してしまうことに気付かされます。このウォークマンの広告で象徴的なものとしては、「部屋から出たがるステレオなのね。」「こんなステレオ嘘みたい。片手でつかめ。外へ連れ出せ。ウォークマン登場。」というキャッチコピーが書かれていますが、僕らがどうメディアを使うかによって、僕らの欲望や動機そのものが道具によって変わっていくことが見受けられます。他にも、携帯電話というメディアの出現では、僕らがどうやって人とつながるのか、ということの変容が見てとれます。学生の間では、携帯電話を使ってどうやってクラスの中でステータスを得ていくか、といったようなことです。
プリクラという媒体にも、このようなコミュニケーションのあり方が現れています。プリクラを誰と撮り、どこに貼って、誰に見せるのかが非常に重要になってきます。今から5・6年前は、合コンに参加する男子は、事前にプリクラを撮って、相手に渡すという文化も存在したようです。プリ帳(プリクラを貼って保存するメモ帳)という文化は、その最たるものでしょう。プリ帳にどのくらいのプリクラを貼っているかということで、その人のコミュニティの広さなどのステータスが判断されてしまうことになります。

「足場掛け」の概念

ここでひとつ、本日の講義のキーとなる「足場掛け」という概念を紹介します。「足場掛け」論とは、アメリカの心理学者ジェロム・ブルーナーによって提唱された概念で、ひとりでは到底解決が困難な課題が目の前にあるとき、その人の回りに存在する仲間や先生など、その課題を抱えている本人よりも能力のある他者が支援し、実行可能にする工夫のことを指します。課題を抱えた人が、その課題の解決に足場を「掛け」、その挑戦する過程で学習や成長を遂げていくという考え方です。例えば、教育現場では、誰が誰を、どのように支援するのか、という「足場掛け」の道筋がしっかり設計されています。
先に紹介したコスプレイヤーの社会でも同様に、この「足場掛け」がオンライン上で行われています。コスプレイヤーは日頃から先ほど紹介した「cure」のサイトをこまめにチェックし、誰がどのようなコスプレをしているかということや、衣装や小道具などの作り方を参考にしつつ、その参考にした人のコスプレのクオリティを超えるための工夫をしようとする、という活動がレイヤーの間では見られることが特徴的です。私は以前研究で、コスプレイヤーが集うイベントの前とイベントの後の「モノ」に着目し、イベントで使用する人工物やモノをつくるときのプロセスについて11人に対してインタビューを行いました。対象者には、レイヤー歴1年程度の経験者から、自作のコスプレ写真集などを出しているような玄人までを選定しました。あえてこのようなトリッキーな現場に赴き、観察することで、私たちが当たり前にやっている、日常的な行為に含まれる主体と人工物との関係を見ていこうと考えました。

キャラクターへの愛

レイヤーの活動の大元となっているモチベーションとは、ずばりキャラクターへの愛であると言えます。レイヤーの愛情表現とは、「好きで好きでたまらない…!」と心のなかで思っているだけには留まらず、外化することによって初めて愛情表現となるのです。あるキャラクターについて他のコスプレイヤーよりもすごい作りこみを行うことが、レイヤーの社会ではそのキャラクターへの愛情表現につながることになります。衣装、メイク、身体そのもの(上腕二頭筋を鍛えるなど)など、徹底したモノの作りこみが行われます。物質的で徹底的であることこそが愛情表現であるということ、これがレイヤーたちの創作のモチベーションを支えているという点が興味深いと言えるでしょう。
ここで、「進撃の巨人」という漫画におけるコスプレの様子を紹介します。この漫画では、登場するキャラクターが複雑な武器を使用するために、似たような武器の製作が困難で、コスプレを諦める人も多かったそうです。このことはつまり、“つくる欲求”が生じたコスプレイヤーが少なかったということを表しています。なかなかコスプレができず、どうしてもコスプレをしたいひとは武器なしでのコスプレをしていたそうです。そんな矢先、100円均一で発売されている太鼓を購入し、表現が困難であった円型の武器の局面部分を表現することに成功したコスプレイヤーが現れます。このコスプレイヤーがTwitterでその様子をツイートした所、約4600件のReTweet(RT)、約3000件のお気に入りがつき、このつぶやきに影響を受けてレイヤーさんが相次いで太鼓を購入し、100円均一のお店からこの太鼓が消える時期があったそうです。
この漫画のファンでなければ、この太鼓に初めて対面しても何の欲求も生まれませんが、ファンであれば初めて見た瞬間からその見え方が変わり、“つくってみたい”“自分もその武器を手にしてみたい”という欲求が生まると言えます。つまり、主体と人工物の関係が、その人の属性によって変容してしまうのです。100円均一で簡単に資材が手に入ることで、今まではその武器を表現するために、アルミの素材を火で炙って曲げて作るという工程にかかっていた時間や手間が省かれ、更なる表現を目指し、本格的な塗装にこだわりはじめる、というタスクにレイヤーたちは着手します。あるタスクが通過できたことにより別のタスクにこだわることが可能になります。人工物やモノを作成するプロセスにおいてある部分で標準化が起きると、新たな工夫でその浮いた時間を埋めようとし、火で炙るという選択が過去のものになります。つまり、レイヤーが知覚する現実が変化して、100円均一の道具で何とかできるのにそれを装着していないコスプレイヤーはもう過去のものになってしまいます。これは、レイヤーに限った話ではなく、僕らも普段の活動において当たり前にやっていることで、こうした標準化と新たな仕事が繰り返されることになります。そういった影響を与え合う出来事は、実は他のコミュニティから別のコミュニティが影響を受けるということもあります。
他のコミュニティから別のコミュニティが影響を受ける例としては、「小悪魔ageha」とうギャル雑誌において取り上げられた、つけまつげやカラーコンタクトを装着して、ひたすら濃く顔を「盛る」ことがレイヤーの世界でも流行したことです。これ影響を受け、「小悪魔ageha」では本来はギャル向けの雑誌であるはずなのに、コスプレが「小悪魔ageha」でも取り上げられるという逆輸入のような流れも生じました。そして、コスプレイベントの会場にいわゆる“オタク”とは呼ばれなかった人たちもこぞって押しかけるようになった、という現象も見られました。しかし、古参のレイヤーたちは、新たな人が自分たちのコミュニティに人が流れ込んでくることを嫌って、そのイベントからは離れていくという現象も起きています。ギャルたちがコスプレイベントに接近してくることで、レイヤーたちはさらに徹底したクオリティの表現を追究するような欲求が高まり、差異化をはかろうとしていきます。「欲求」というものはレイヤー個人の中でのみ生じるものではなく、レイヤーのコミュニティにだけで起きるわけでもありません。狭いコミュニティやそれに近隣した文化と相互に影響を受ける中で「欲求」というものが生じ、変容していくという点が非常に興味深いと言えるでしょう。
また、最初にご紹介した「Cure」というコミュニティサイトでは、投稿に対してのビュアー数(ページの閲覧数)も確認することができるため、その数値を参考にしながらどのような作り方の可能性があるかということを参考にします。例えば、あまりコスプレをする人がいない格好だと、それに挑戦する人自体が珍しいために、ビュアー数が伸びたりもします。つまり、「Cure」はレイヤーのためのSNSとして、自分の製作欲求が湧いた時にそれを支えてくれる、「足場掛け」が組み込まれたウェブサイトだと言えるのではないでしょうか。たとえマイナーなゲームのキャラクターのコスプレであっても、マイナーであるためにコスプレをすること自体が貴重であるために、見てくれるひとが現れます。そしてその数少ない閲覧者に、少しでも想像するクオリティを超したいという欲求が生まれます。自分一人でやろうとは思わない、何も欲求がなかったはずのところに、こうした支援する全体的・文化的なシステムがあることでやろうという欲求がわいてきたり、コスプレに出向いていこうという動機が生まれ、さらにはそれが可視化されるというのが、興味深い点であると言えます。