路上から 「FabCity横浜」を考える

加藤文俊

2013年11月28日

FAB9で生まれた社会関係資本をもとに「FabCity横浜の可能性を描く」セッションを開催したいと思います。横浜の創造活動をさらに高めたいと思われている企業、NPO、団体の皆さんの参加を期待します。先行するスペインバルセロナの基礎調査を進め、横浜市の現状やデジタルファブリケーション技術進展などの検討を加えて2020年横浜の未来図を描き、市への提案を試みます。

[2013年11月28日のトピック]

FabCity横浜の可能性を考えるにあたって、まちや人々の関係を考察するためのひとつのアプローチとして「路上」というキーワードに焦点を当て、まちを眺める態度や方法を共有しました。当日使用した、慶應義塾大学環境情報学部の加藤文俊教授のプレゼンテーション資料も添付してありますので、そちらもあわせてご覧ください。

路上から観察する

加藤文俊研究会の2011年度卒業生、三枝さんの卒業プロジェクト「みなと なう 21」を参考に、「横浜のまちの変化」を追いました。三枝さんは、過去に両親が家族写真を撮った場所を再訪し、再度同じアングルで撮影することで、まちの風景の変化を考察しています。
例えば、中華街のあるお店の看板の店名が、1986年には左から右に書かれていた(「海員閣」)ものが、2011年には右から左に読む(「閣員海」)ように変わっていました。写真を撮る中で、両親の昔を追ったり、まちのわずかな変化を観察したりと、自分の家族やまちとの記憶に触れ、過去と現在を重ねたまちへの理解が深まるのではないでしょうか。
また、フィールドワークをするプロセスの中で写真に映っていた人(例えば、幼稚園の先生)と20年という時間を経て、新たなコミュニケーションが生まれたことも特筆すべき点です。
まちを知るためには、その場にあるものを観察する能力だけでなく、昔と今を合わせて考える社会学的・地理学的な想像力が必要だと考えられます。
考現学者の今和次郎は、学生たちと共にまちを歩き、まち歩きの観察結果は勿論、観察した様子をどのように記録すれば良いかという手法を残し、追体験を可能にしています。
例えば地面がむき出しになっているのを見て、それがどの程度昔に作られたものなのか、想像することが可能でしょう。私たちが普段暮らしているまちには、様々なタイミングであらゆるものが作られていますが、まちを歩き、それらの様子を見るだけで、あれこれとまちの過去に思いを馳せることができるような、イマジネーションを持つことが重要ではないかと考えます。石川初さんは、ある風景を撮影した古い写真を、同じアングルで現在撮影し直したものにモンタージュすることで、現在見えている風景の見方を変えてしまう取り組みを行っているそうです。

達人になる

では、まちを「理解できる」達人には、どうしたらなれるのでしょうか?まちの様子から何かを感じ取り、瞬時にまちや、そこに生きた人について語れる達人になることは、容易ではありません。しかしながら近年、ブラタモリのようなまちを紹介するテレビ番組が流行っているのは、まちについてのうんちくを語れる存在が面白く、可能ならば誰しもがなってみたい(そんな人と一緒にまち歩きをしてみたい)と感じられる存在だからなのではないでしょうか。特別な訓練を積まなくても、私たちが達人にはなれずとも、「達人っぽく」、まちを歩くためには、「道具」と「仲間」が必要であると考えます。それでは、どのような道具を用いて、地表や路上を感じるか、また自身の触覚をどれだけ拡張させることができるのか。また、仲間と一緒にまちを歩くことで、まちについての会話がなされ、データが蓄積・共有されることから、一人ひとりは達人になれなくとも、皆で束ねることで、達人的な力を持てるのではないかと考え、「まち観帖」プロジェクトの紹介がありました。

まち観帖

まち観帖プロジェクトは、ある人がまち歩きで得た「学び」のエッセンスをきっかけとし、他者がまち歩きをする際学ぶことができるような、まち歩きの仕組みを作っています。このプロジェクトは、加藤先生・諏訪先生によって2010年から行われています。二人がまちを歩く中で、まちの痕跡から過去を想像できるためのエッセンスを集めた、「まち観の型ことば」がまず紹介されました。例えば、道がカーブしていて、風呂屋の煙突があれば、現在はなくとも、過去に川が流れていた可能性が高い、などと、まちの物理的なモノから過去を探るための、一種のパタンランゲージが、まち観の型ことばです。
このような道具を用い、普段気づかないようなものに気づくことで、よりまちへの理解が深めることができます。また、そのように「ここは昔川だったのでは?」と仮説を持った際は、「東京時層地図」を参考にし、確かめることも可能です。
しかしながら、パタンランゲージに対する問題意識として、「ランゲージ」が情報としては与えられても、それを利用する人が、実際に言語として使うことができないという点があげられます。この問題意識に答えるべくして、まち観帖プロジェクトで作られた仕組みが、「まち観がたり」です。まち観帖は、まち歩きの際にメモを取りやすくしたり、地図をすぐに閲覧できる(1)まち観房具、先述の(2)まち観の型ことば、(3)まち観がたりの3つから成り立っており、ここで紹介するのが3つ目のまち観がたりです。まちを歩いて発見したまち観の型ことばを散りばめながら、セミフィクション的に物語を書くことで、歴史もふまえてまちを語れるようになるのではないか、と考え、設計されています。

課題発表

「まちを観る」手法として、馬車道駅を中心に、半径およそ500メートルの圏内をフィールドワークし、五感を駆使して歩きながら「過去の痕跡」を探す課題について提出者による発表がありました。道端にある牛馬飲水用の水槽や、拾得定期券の掲示板など、提出者が各々の解釈で「過去」の痕跡を見つけだし、発表しました。歴史ある建造物として残されているものもや、個人の記憶に繋がる「過去」の場所なども挙げられました。加藤先生は、道端に生えた大きな木から、そこを水が流れていた場所であると予測していました。地図を一枚頭に入れ、歩くことで、様々な立地の原因や原型が見えてくる、ということについても述べられていました。

ディスカッション

本日の加藤先生のプレゼンテーションを受け、参加者によるディスカッションが行われました。

・まちの流通の痕跡を見る
「なぜ現在赤レンガ倉庫が残っているのか?」という水野先生の問いから、まちの流通の痕跡からまちの変化を探りました。コンテナ輸送が始まる70年代までは、荷物のスケールもヒューマンスケールであり、馬車で運んでいたものが、コンテナ輸送が始まることで、通りも大きくなり、車も大きくなったのでは?という予想がなされました。また、荷物がどういう風に流れて、戦後復興までこの街はどんな役割をしていたのか、ということを調べることで、戦後の復興の中で街の発展や断絶が見えるはずなのではないか、という議論がなされました。

・過去の地図から現在のまちに繋げる
プロジェクト参加者の中に、卒業制作で時層地図を使い、まち歩きをされた方がいました。その際、10年単位の地図を重ねて東京のまちの変遷を観察し、昔船に載っていた木材のルートを観察する中で、今存在する地形ができた要因や景観に関わる発見があったそうです。時層地図の原本は国会図書館にあるはずなので、大きく印刷し、参加者みんなで囲んで見てみたいという意見があがりました。
他にも、三菱造船所があったからこそ派生した産業があり、今の地形になっていると横浜出身の方からの意見がありました。また、運河に浮かんでいた木がたくさんあったきっかけで、昔は横浜周辺では木材屋や家具屋も多くあったという知識のシェアもありました。

・ソーシャルファブリケーションに繋げる
田中研が作った地産地消マップでは、「材料を入手する場所」、「製作する場所」、「出力する場所」という3つのカテゴリーに分けられていましたが、まち観の型ことばを用い、水の流れた場所の背景を知ることで、このエリアの中で様々な工業が固まっている理由が分かるのではないかと考えました。また、いまどういう風にまちが作られているかということを知れば、ファブに関する活動拠点をどうしていけたらいいかということが考えられるようになるかもしれない、という意見がありました。